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「鹿児島人には、“ぼっけもん”のDNAがある。さあ、勇気をもって、世界に飛び出して!」

門田 晶子

語り手
門田 晶子 合同会社 Go! Kagoshima 代表

鹿児島弁で、勇敢、恐れない、という意味の「ぼっけもん」。
門田晶子さんは、まさに「ぼっけもん」だ。
高校1年の15歳で渡米、通算21年間アメリカで過ごし、テレビ局に就職して管理職も務める。2006年の帰国後は、祖父が創業した渕上印刷株式会社に入り、社長として会社の舵取り役に。鹿児島では数少ない女性経営者として2010年から2016年までトップを担った後、家業を離れ、次の人生のステージに進む。
今、故郷と世界をつなげる架け橋になりたいと、「Go! Kagoshima」という会社を立ち上げ、鹿児島の企業の海外進出の手助けをしている。
門田さんは48歳の今も、少女時代の気持ちそのままに、恐れず、勇気を持って前進していく。そんな「ぼっけもん」な彼女が、故郷の未来に届けたいメッセージ。富士ゼロックス鹿児島元社長で、現在は企業のマーケティングの指導などに携わる嶋田光邦氏が聞いた。


画007にあこがれて、スパイになるために英語の勉強しなきゃと(笑)

嶋田氏 門田さんは30年前に、アメリカに留学されたんですよね。きっかけは何だったのですか?
門田さん 高校1年生の時にアメリカに渡って、10年前に鹿児島に帰ってきたので、通算21年間、アメリカで過ごしました。小学生のころにはすでに、世界を股にかけた仕事がしたいという思いがありまして。鹿児島にはいたくなかったんです。
母の妹がアメリカ人と結婚していて、私が幼いころには家族でよく遊びに来ていました。アメリカの家族の様子を見て、あっちの方がいいなと思って。私が思い描いていた幸せな家族だったんです。暮らし方とか、夫婦のあり方とか、子供との接し方とか。私には合ってそうだなと思って。私もアメリカに行って、あっちの世界に入りたいと、ぼんやりと思っていました。
あと、父と一緒に「007」の映画を見るのが好きで。ジェームズ・ボンドは面白そうだな、私もスパイをやりたいな、と思って(笑)。スパイになるからには英語をしっかり勉強しなきゃ、留学して生の英語をしゃべるための勉強をしなきゃ、と思いました。
ご両親は反対されなかったんですか?
門田さん もちろんしました。誰がダメだと言っても無視するような子だったので。父や母にはすごくやっかいな子だったと思うんですけど(笑)。日本が窮屈に思えて。女の子だからこうしないといけない、とかレールを引かれるのが嫌で。だから、私は鹿児島を飛び出したんです。
カリフォルニア州のサクラメントの高校に留学して、卒業後は帰国しました。東京のファッションデザインの学校に行ったんです。でも、ちょっとファッションは違うなと思いまして。せっかくアメリカの高校に行ったのに、英語を忘れていく自分にも気づいて。アメリカの大学に進んで、キャリアになるような英語を習得しないといけないといけないと感じ、再びアメリカに戻りました。そこから、就職もして、ずっと居着いちゃったんですけど。
門田 晶子

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さつま伝承をつくるにあたり

きっかけは偶然ですが、素晴らしい内容になる気配を感じましたので「薩摩の地で営む経営者に向けてメッセージ」「薩摩、鹿児島そしてこの郷土に伝えたいこと」を語り手の皆々様からメッセージとしていただくことにしました。
更新は不定期ですが、貴重なお時間を割いていただき語り手に語っていただいています。ご期待下さい。
聞き手である富士ゼロックス鹿児島株式会社嶋田光邦氏は2013年7月から懇意にさせていただき、経営者として未熟な私を、日夜叱咤激励して下さいます。
このさつま伝承プロジェクトを遂行するにあたり、かけがえのない偉大な先輩であり、親父であり、兄弟であり、親友であるといえる嶋田光邦様に深謝します。

2015.10.20
株式会社エージェントプラス
橋口 洋和