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「役立つ商品であり、喜ばれる商品であれ」

重久政純

語り手
重久 政純福山酢醸造株式会社 5代目 代表取締役会長

世界でも類を見ない露天かめ壺仕込みの黒酢生産地として知られる鹿児島県霧島市福山町。
昨今の健康食ブームで、福山の黒酢は全国的に有名だ。

「ヤマシゲ」の福山酢として知られ、200年にわたって伝統の製法を守り抜いている
福山酢醸造株式会社の商品は、味のプロである飲食業界にファンが多い。

江戸時代創業と言われる老舗がいかにして続いて来たのか。そして目指す未来とは?
5代目の重久政純会長に、富士ゼロックス鹿児島株式会社前社長で現顧問の嶋田光邦氏が聞いた。

らかくおいしい玄米酢こそが伝統の味

福山の黒酢造りは1820年頃から始まったと言われます。
重久会長は黒酢造りの伝統についてどう考えられていますか?
重久会長 日本全国どこの醸造業者も歴史は古いです。それぞれ伝統をお持ちですが、福山の黒酢はちょっといきさつが違います。ほとんど農業みたいな形式なんです。
醸造所の場所は露天です。屋外で酢を仕込むための壺を南北に並べまして、これを私どもは「壺畑」と呼びます。農業みたいと言うのは、その点です。昔は黒酢と言わなかったんです。米酢です。正確には、玄米酢ですね。日本酒も、もともと白米ではなく、玄米で造っていました。
私どもは、ずっと玄米酢です。飴色のべっ甲のような色のお酢です。常に、柔らかい、おいしいお酢。それが伝統です。
やはり酢造りには玄米が一番ですか?
重久会長 玄米が一番です。精米した白米に比べて、玄米は栄養分をいっぱい持っています。ただ表皮がありますから硬いです。胚芽もついています。それをどう蒸すかですよね。
昔の人は非常にいい知恵を持っていました。蒸し方としては「2度蒸し」と言いまして、1回蒸した玄米を、ぱっと広げます。そこに水を打って急冷却します。そうしたら表皮が耐え切れず、全部、ぱちんと割れます。胴割れといいます。そして、もう一回蒸し直すんです。今度は軽くですね。手を濡らして、ぱっとまく感じですね。職人さんの技です。
今は2度蒸しはやらなくなりました。現代的な回転釜を使えば、簡単に蒸した玄米ができます。
原料づくりは近代化しているのですね。
露天で酢を造る際、大事な要素は何ですか?
重久会長 温度、そして空気が大事です。屋外で自然発酵させるので、温度管理が非常に難しいのです。どうやって自然発酵を促すのか。それが糀(こうじ)です。壺は小さくて、本数が非常に多いです。1本1本で発酵するから管理が大変。そこで糀が活躍します。
露天で造ると、外気が入ってきます。外気はすべてが良いものではない。大気が汚染されたり、桜島の灰が入ってきたり、虫が飛んできたり。それは、すべて駆除できないです。
そこで、上糀という手法を取ります。原料の上に上糀を張り、外敵をカットします。外気は完全に遮断していないので微生物が息もできます。
上糀はまた、高温からも守ります。夏場は壺の中の温度も非常に高くなります。上糀は温度を良い条件に整えます。
商品/重久

私の実家は東京の酒屋で、最寄りの駅は「糀屋」と言います。
爺さんから糀の話はいろいろ聞いていましたが、
上糀は日本酒にはない製造工程で、びっくりしました。
重久会長 1にも糀、2にも糀、3、4がなくて5に糀というくらい、酢造りに糀は大事です。糀はカビの一種なんですけど、日本独特の育てるカビですね。
露天で壺を土の上に置いているのも理由があります。コンクリートの上では駄目。寒い時、地表は暖かいです。熱を吸収するからです。自然の摂理というものに、黒酢造りはうまく合わせているんです。
今でも大手のお酢屋さんが工場見学に来てびっくりされます。「こんなんじゃ、酢は出来ないでしょう」「壺を置いているだけで、発酵場所じゃないでしょう」「貯蔵庫でしょう」。みなさん、そう言われますよ。
でも、自然の摂理を大事にしながら、昔から造り続けてきたのが、福山の玄米酢なのです。
素晴らしい伝統ですね。
重久会長 われわれはどちらかと言うと、福山酢を誇ることはしてこなかったんです。自慢にしてこなかったんです。
どうしてか。設備がないんです。工場生産のような機械がないんですよ。農業的なものと言っている理由は、何にもないからです。あるのは露天ですよ。
露天と人の力だけと言うことですね。
しかし、日本の誇るべき伝統技術です。
重久会長 難しい技術じゃないんですね。200年前から繰り返し繰り返し、ずっと職人たちがつないできたものだったんでしょう。ただ、切磋琢磨して技術を磨いてきた結果が、現代もいいお酢を造れているわけです。
もし向上心がなくて、職人的でもなく、商売的な考え方だったら、こんな流暢なことをやってられないです。
日本酒の場合は杜氏が酒造りを仕切りますよね。
黒酢造りはどなたか熟練の方がいらっしゃって、ご指導されているのですか?
重久会長 われわれに杜氏さんはいません。実はうちの祖母方が糀屋さんなんです。糀屋の子供がうちの工場長だったりするんです。うちの祖母も糀つくりの名人でした。日本酒もそうですが、最近でこそ女性が糀室に入りますが、昔は入れませんでした。中で酒を飲んだり、遊んでいたんです。だから、女性を絶対に入らせなかったんですよ(笑)。
われわれ経営陣が作業場に入ったらまず、コストを下げることを考えます。人を効率的に動かせるように配置します。それをしないのも、長く続いているゆえんですね。

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さつま伝承をつくるにあたり

きっかけは偶然ですが、素晴らしい内容になる気配を感じましたので「薩摩の地で営む経営者に向けてメッセージ」「薩摩、鹿児島そしてこの郷土に伝えたいこと」を語り手の皆々様からメッセージとしていただくことにしました。
更新は不定期ですが、貴重なお時間を割いていただき語り手に語っていただいています。ご期待下さい。
聞き手である富士ゼロックス鹿児島株式会社嶋田光邦氏は2013年7月から懇意にさせていただき、経営者として未熟な私を、日夜叱咤激励して下さいます。
このさつま伝承プロジェクトを遂行するにあたり、かけがえのない偉大な先輩であり、親父であり、兄弟であり、親友であるといえる嶋田光邦様に深謝します。

2015.10.20
株式会社エージェントプラス
橋口 洋和